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プログラム集

2004年3月30日(火)19:00開演

スウィングする音楽、心、脳 ― このときめきをトークとピアノで
ピアニスト・医学博士(神経内科医)
上杉春雄 スプリングコンサート

主催:朝日新聞社
協賛:スタインウェイ・ジャパン株式会社
マネジメント・お問合せ:⑭音楽事務所サウンド・ギャラリー

 

Program

ラモー:
J.P.Rameau
クラヴサン曲集より
Pièce de clavecin
アルマンド
Allemande
クーラント
Courante
ロンド形式によるジーグ
Gigue en rondeau
ショパン:
F.Chopin
ノクターン 第8番 作品27-2
Nocturne Op.27-2
スケルツォ 第2番 作品31
Scherzo Op.31

モーツァルト:
W.A.Mozart
ソナタ K.331 「トルコ行進曲付き」
Sonata K.331 “alla Turca”
Ⅰ. Andante grazioso – Var.1-6
Ⅱ. Menuetto
Ⅲ. alla turca, Allegretto
リスト:
F.Liszt
ラ・カンパネラ
La Campanella
アルベニス~ゴドフスキー:
I.Albéniz – L.Godowsky
タンゴ
Tango
グールド:
M.Gould
ブギウギエチュード
Boogie-Woogie Etude
ストラヴィンスキー:
I.Stravinsky
ペトルーシュカからの3楽章より 「祭の日」
Three movements from Petroushka “Shrovetide Fair”

*都合により曲目等変更になる場合がございます。あらかじめご了承ください。

 

Program Notes
「スウィングする音楽、心、脳」というのが今回のサブタイトルです。スウィングする脳、というのは、昨年ある医学雑誌に出ていた論文のタイトルから借用しました。その論文では脳の中では音楽を聴くことと、身体を動かすという行為に関係する場所が共有されている、という趣旨が書かれていました。脳は感覚という形で入力をし、主に運動という形で情報を出力している組織ですが、音楽というのは、その入力と出力の密接な関係を象徴するよいモデル、というわけです。
スウィング、という言葉の中に、動き、運動というイメージも合わせて考えています。時間に沿って動いていく音を聴きながら皆様はおとなしく座っていらっしゃる訳ですが、頭の中では活発に「動き回って」いるかもしれません。そんな、活発な脳の活動の中に、音楽を聴く喜び、感動の秘密があるのではないか、最近そんなことも考えています。
難しいことを言うつもりはありません、本日の演奏を聴いて(そしてささやかに動きを巡って、音・脳・心の循環がしている様子をイメージして)、音楽を心より楽しんでいただけたら幸いです。

 

■J.P.ラモー[1683-1764]:クラヴサン曲集 より“アルマンド”“クーラント”“ロンド形式のジーグ”
フランスバロックの作曲家、ラモーは遅咲きの大家でした。オペラ作曲家としての名声を確立したのが50歳になってからで、最初は音楽理論家として世に出ています。
このクラヴサン曲集はラモー40歳前後の作品集で、今日はその中からバロックダンスといわれる踊りに関係している曲を3曲選びました。豪奢な宮殿の中で、王侯貴族が好んで踊った踊りです。音楽を聴いて、みなさまの脳裏に貴族たちが自らの美しさを誇示するように踊っている様が思い描けますでしょうか。
アルマンド 「ドイツ風の」という意味の踊りの曲ですが、この曲については楽器で演奏されることが意識されており、ダンスのステップからはかけ離れた曲となっております。
クーラント クーラントにはイタリア風とフランス風があり、曲風、踊り方は大分異なったものです。このラモーの曲は典型的なフランス風です。クーラントはかの太陽王ルイ14世が特に好んで踊っていたというだけあって、軽やかな跳躍とともに威厳に満ちた風格を持っています。
ジーグ 軽やかな踊り。「ロンド風」という名の示す通り、主題が何度も繰り返されます。

 

■ショパン[1810-49]:ノクターン 第8番 作品27-2
ショパンの音楽における最大の魅力は、まずメロディの美しさにあると思います。しかし分析してみると実際のメロディの骨格はいたってシンプルで、メロディに見えるものはその骨格を彩っている装飾であることがわかります。さらに、そのメロディの骨格を支える和音の進行も極めて自然で無理がありません。
すなわち、高いところから低いところに水が流れるような自然な和音進行に支えられて、シンプルなメロディの骨格が流れ、そのメロディにさまざまな“綾”がついている、という寸法です。
ショパンの多くのノクターンでは旋律線もまた高いところから低いところ、すなわち上から下へと動く傾向があり、自然な流れを感じさせるひとつの遠因となっております。
この8番はノクターンの中でも僕がとりわけメロディの線がきれいだと感じた曲です。どうか、熟練の書家の筆さばきのような精妙な動きをイメージしながら、ショパンのメロディラインの美しさを味わってみてください。

 

■ショパン:スケルツォ 第2番 作品31
ショパンにはバラードとスケルツォが4曲ずつあり、同じくらいの規模、しかも同時期に書かれております。音楽家の間でも以前よりスケルツォとバラードを対比させて考えられてきました。
バラードとは物語の意味で、そのモチーフ(日本語にすると動機といって、その音楽を形成する重要な部品となるような音の集まりのことです)自体が何か訴えるような言葉になっているように思います。一方、4曲のスケルツォのモチーフは、どれもうごめく音の塊であり、それ自体に言葉としての機能を感じさせません。僕の考えでは、ショパンは言葉で語りたいことをバラードで、言葉にならない心の動き・衝動をスケルツォの形で表現したのではないか、と思うのです。
本日は残念ながらバラードとの比較を行えませんが、このスケルツォ2番において、細かな音の動き、大きな動き、錯綜する動きからショパンの心情を汲み取っていただければうれしく思います。

 

■モーツァルト[1756-91]:ピアノソナタK311 「トルコ行進曲付」
まだ騎士道なる形で「個」が大事にされていた中世のヨーロッパに、突如まったく異質な敵が襲い掛かりました。オスマン・トルコは数万、数十万という大軍にもの言わせて一気に敵を殲滅しました。その先頭に立つのが皇帝直属の精鋭、イエニチェリ軍団。彼らは無残なことに征服されたヨーロッパ諸国の貴族の子弟であり、徹底した洗脳教育によって従順な兵士に仕立て上げられておりました。
大軍に指令を行き渡らせるため用いられたのが軍楽です。独特のトルコ行進曲を聴きながら、突進してくる(洗脳された)同朋とユーラシアの大軍を迎え撃つヨーロッパ人の恐怖はいかばかりであったでしょうか。
このソナタはモーツァルトのパリ滞在中に作られたといわれております。一説によれば、パリまで付き添ってきてくれていた最愛の母親をなくした直後の作曲ということです。弦楽合奏のような主題で始まる1楽章は透明感あふれる変奏曲です。心から悲しいときに人には透き通るような笑顔を見せる、モーツァルトはそういう人かと思わせる楽章です。2楽章は優雅な宮廷の様子が感じられるメヌエットとなっております。一転、3楽章のトルコ行進曲において、就職活動もうまくいかず、母まで亡くすという浮世のつらさをかみ締めているパリ時代の不遇の天才モーツァルトが、それでも涙をぬぐいながら頭を上げて前に進もうとしている姿を思い描くのは僕だけでしょうか。

 

■リスト[1811-86]:パガニーニによる超絶技巧練習曲集より ラ・カンパネラ
19世紀ヨーロッパはロマンの時代と呼ばれ、神話を主題とした芸術作品が多く生み出されるなど英雄崇拝が行われておりました。そんな中でピアノとヴァイオリンの両雄と称すべき存在がリストとパガニーニです。
パガニーニはその超人的な技術が喧伝されておりますが、この曲の哀愁を帯びた旋律でわかるように、多くの作曲家が後に彼の作品を下敷きにして作曲したことからわかるように、メロディつくりの名人でした。また、リストもそのパガニーニの旋律をそのままピアノに移すのではなく、鍵盤の上を飛び回る分散和音にして、ピアノという楽器を使った時の効果を高めています。世紀の両雄合作、なるべくしてなった名曲でしょう。

 

■アルベニス[1860-1909](ゴドフスキー編):タンゴ
タンゴはアルゼンチン起源で、「    」というリズムが特徴となっている激しく扇情的な踊りで有名ですが、ヨーロッパに入ってコンチネンタルタンゴとなったものはもっと穏やかでまったりした味わいがあります。
ゴドフスキーはアメリカで活躍した名ピアニストで、超人的な技術を誇っていたそうです。彼が編曲したショパンの練習曲集は最高の難曲のひとつと言われており、手が4本くらい欲しいような曲ばかりです。このタンゴについてはゴドフスキーにしてはおとなしいものに仕上がっておりますが、多用される対位法によってまったりした味わいにさらにコクが加わったような気がします。
たてノリのアルゼンチンタンゴと違う、横ノリのタンゴをご賞味ください。

 

■M.グールド[1913-1996]:ブギウギエチュード
絵画の1ジャンルに「風俗画」というのがあります。それそのものの芸術的価値が必ずしも高くなくても、その絵画の作られた時代、その地方の風景や人々の生活など社会の一断面が鮮やかに切り取られていることによって大事にされています。
この曲も、20世紀前半から半ばにかけての、アメリカの一世相を現していると思います。
少なくとも今回のプログラムの中でもっとも「スウィング」している曲でしょう。

 

■ストラヴィンスキー[1882-1971]:ぺトルーシュカからの3楽章より 「祭りの日」
ここはお祭り準備でみんなざわめくロシアの田舎町。怪しげな人形遣いが登場しました。最初に取り出したのはペトルーシュカという少年の人形。次に人形遣いはバレリーナ、それからムーア人を取り出し、それぞれに魔術を使って命を吹き込みました。話はそこから始まります。
ペトルーシュカはバレリーナに恋をしますが、蓮っ葉な踊り子は金持ちムーア人が大好き。ペトルーシュカにはつれない態度です。一人部屋で悲嘆に暮れるペトルーシュカ。
祭り日の夕方、ざわめきの中から最初は「乳母の踊り」、ついで「小粋な商人とジプシー娘の踊り」「御者と馬丁の踊り」と出し物は進み、やがてパイトマイム役者の登場。
役者はヤギとブタの物まねをした後、悪魔仮面といっしょに踊ります。みんなが踊りに興じているそのとき、自分の恋人にちょっかいかけようとしたペトルーシュカに対しムーア人が怒り、人々の目の前でペトルーシュカを追いかけてきて切り殺してしまいます。
広場の人々が動かなくなったペトルーシュカを見て人々が三々五々立ち去った後、例の人形遣いが現れ、人形たちを片付け箱に入れて立ち去ろうとします。そのとき、あっと驚く人形遣い、広場を囲む家の屋根から、うらめしそうなペトルーシュカの亡霊がじっとこちらをにらんでいた・・・
ストラヴィンスキーの出世作のひとつ、バレエ音楽「ペトルーシュカ」を、ピアノ曲に編曲したのがこの曲です。本日は第3楽章だけ演奏しますが、原曲の「祭りの日」から、熊使いの登場場面と、ぺトルーシュカが殺される場面以後が省略されております。
とにかく聴いていただければおわかりのように肉体を酷使させられる曲です。僕の知る限りでは、日本で最初にこの曲を録音したのは僕だと思うのですが、1988年夏、録音中テイクを重ねるごとに体がボロボロになったものでした。グリッサンドで肉が弾けとんで鍵盤に点々と血がついていたのを覚えています。「動き」という言葉が、或る物が次の時間に別の場所にある、そんな現象を指すとするならば、確かに「体の動き」だけではなく、「音の動き」「心の動き」もあってもいいかもしれません。しかし不思議なのは、「音の動き」から「体の動き」や「心の動き」を感じられること、さらに心の動きは「感動」という言葉に通じる、ということではないでしょうか。
演奏会ではそれら様々な 「動き」の奥に潜む、共通のイメージを味わってみたいと思います。



上杉春雄の活動に対するお問い合わせ、連絡は以下へ
おふぃすベガ
兵庫県宝塚市仁川月見ガ丘1-24-202
TEL.0798-53-4556
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